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イギリス”マーガレットのポルティモアティアラ”

2006年、ひとつのティアラが競売にかけられ話題をよびます。

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エリザベス女王の妹、マーガレット王女のウェディングティアラとなった
”マーガレットのポルティモアティアラ”です。

自由奔放でオチャメなお姫さまだったマーガレット王女。
スクリーンスターの様に美しかったマーガレット王女。

マーガレットが恋をしたのは、生涯でたった一度だけです。


1944年、イギリスの若き空軍士官タウンゼント大佐が、
近衛兵としてマーガレットの父であり
イギリス国王であったジョージ6世につかえることとなりました。

バッキンガム宮殿で同じ時間を共に過ごす
マーガレットとタウンゼント大佐は、
やがて恋に落ちます。

しかし、タウンゼント大佐は既婚者であり、
すでに二人の子供がいました。

しては成らぬ恋でした。

二人は静かに静かに恋を温めて行きます。
タウンゼント大佐は妻と離婚し、
そして、マーガレットとタウンゼントは結婚を決意します。

1953年、エリザベス女王の戴冠式。
マーガレットはタウンゼントの肩についている塵をそっと手で払います。
カメラはその瞬間を逃しませんでした。
そしてマーガレットとタウンゼントの仲が公に明るみになってしまいます。
イギリス中が二人の仲、二人の結婚に反対します。

「王冠を賭けた恋」と言われたエドワード8世やウォリス夫人の二の舞をさせては成らぬと、
イギリス王家、イギリス国民、教会そしてメディアが二人の結婚を許しませんでした。

マーガレットの叔父であり前イギリス国王のエドワード8世は、
離婚歴のあるウォリス夫人と結婚し、
国王の座を弟ジョージ6世に譲りました。

しかし、エドワード8世は国王の座を降りた後も、
”ウィンザー公”という称号を与えられ、
イギリスには住めなくなったものの、
フランスでウォリス夫人と豊かな生活を送ることを保証されました。
その豪華な生活ぶりは、”ウィンザー公”となったエドワード8世が
ウォリス夫人に送った数々の豪華な宝石に現れています。

しかし、マーガレットとタウンゼントにはそれは許されませんでした。
もし二人が結婚するならば、
もちろんマーガレットの王位継承権はなくなり、
貴族としての称号を与えられることもなく、
一切の生活費も出ない、というのが条件でした。

イギリス中を敵に回し、一切の生活費も出ない、、、
マーガレットとタウンゼントは別れる道を選ぶしかありませんでした。

1955年10月31日、マーガレットとタウンゼントは
バッキンガム宮殿の東に位置するクランレスハウスで会うことを許されます。
そして二人は、このクラレンスハウスで最後の別れをしました。
この時、マーガレットは25歳。

その後、タウンゼントはイギリスの地を離れます。
マーガレットは数々の浮き名を流すようになり、
1960年、一市民で写真家であるアンソニー アームストロング ジョーンズ氏と結婚します。
ベルリンでタウンゼントが再婚したことを知ったマーガレットが、
衝動的に結婚してしまった、と言われています。


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ジョーンズ氏には、”スノードン伯爵”という称号が与えられました。
マーガレットは、デイビット(現在リンリー子爵)と
セーラという二人の子供に恵まれます。

しかし、二人の夫婦生活は長くは続きませんでした。
ファッション界で生きるジョーンズ氏の生活は乱れており、
薬物の使用、派手な女性関係にマーガレットは悩まされます。

やがて夫婦生活は仮面となり、
マーガレットも夫に引きずられるかのように生活が乱れていきます。

1978年、二人は正式に離婚します。

マーガレットはその後も、恋多き王女としてゴシップ紙の常連となります。
生活を取り戻すことはできず、2002年2月、72歳でこの世を去ります。
その1カ月後、マーガレットのお母様であるエリザベス王太后が
我が子を追うかのようにこの世をさります。
エリザベス王太后、享年102歳でした。

2006年、”マーガレットのポルティモアティアラ”は
2億円で個人の宝石収集家に落札されました。

”マーガレットのポルティモアティアラ”を
再び私達が見ることは無いでしょう。


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とても残念です。

マーガレット王女のお写真はとても美しくて、
私、好きです。

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マーガレット王女さま

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